1931年5月10日
外山国彦の三男として東京都牛込区に生まれる。
1948年
東京音楽学校(現在の東京芸術大学)本科作曲科に入学。作曲を下総皖一氏に、ピアノを田村宏氏に師事。
1949年
初めての作品<フルート・ソナタ>を作曲。
1950年
<クラリネット、ファゴットとピアノのための三つの性格的な断片>で第20回音楽コンクール室内楽の部第2位を受賞。
1952年
東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。卒業と同時に専攻科に進むとともに、NHK交響楽団に打楽器練習員として入団。
1953年
<小交響曲>がNHK管弦楽懸賞佳作に入選。間宮芳生氏、林光氏とともに「山羊の会」を結成。
1954年
NHK交響楽団指揮養成員となる。
1956年9月
NHK交響楽団の公演を指揮して指揮者としてデビュー。
1958年
ウィーンに留学。ウィーン国立音楽大学、ウィーン市立コンセルヴァトリウムにてオペラ、指揮、バロック音楽を学ぶ(60年まで)。
1959年
ザルツブルグ・モーツァルテウムにおいてエーリヒ・ラインスドルフ氏のマスタークラスに学ぶ。
1960年
<管弦楽のためのラプソディー>作曲。NHK交響楽団海外演奏旅行に同道し、ソ連、東西ヨーロッパ、イギリス、アメリカで指揮。同時に同作品を各地で演奏、好評を博す。以降日本のオーケストラの海外演奏旅行において外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」が数多く演奏されるようになる。
1961年
NHK交響楽団定期公演に初登場。
1963年
大阪フィルハーモニー交響楽団専属指揮者に就任(67年まで)。
1964年
<バイオリン協奏曲第1番>で尾高賞を受賞。NHK交響楽団海外演奏旅行にふたたび同道(沖縄、タイ、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランド)。
1965年
オーストラリアバレエ団の委嘱により、<バレエ音楽「幽玄」>を作曲し好評を得る。同作品はオーストラリア国内のみならずロンドン、パリ、ブリュッセル等ヨーロッパ各地で上演される。ノヴォシビルスクをはじめソ連各地で客演指揮を行う。
1966年
NHK交響楽団海外演奏旅行(北米、南米)を指揮。ロストロポーヴィチの依頼により<チェロ協奏曲>を作曲。
1967年
京都市交響楽団常任指揮者に就任(70年まで)。ソ連、ルーマニアなどヨーロッパ各地のオーケストラを指揮。モスクワにてロストロポーヴィチの独奏により<チェロ協奏曲>を指揮、初演。
1970年
チャイコフスキー・コンクール・チェロ部門審査員としてソ連より招かれる。
1971年
サンタ・チェチリア国際指揮者コンクール審査員として招かれる。
1975年
東京都交響楽団の委嘱により<東北の民謡による二章>を作曲。第68回ファミリーコンサートに初演。
1976年
レニングラードなどソ連各地で客演指揮を行う。
1979年
NHK交響楽団正指揮者に就任(現在まで)。NHK交響楽団海外演奏旅行(中国、香港、フィリピン、シンガポール、タイ、インドネシア、マレーシア、オーストラリア)を指揮。
1981年
名古屋フィルハーモニー交響楽団音楽総監督・常任指揮者に就任(87年まで)。第1回有馬賞を受賞。
1982年
NHK交響楽団尾高賞30周年記念定期公演にて日本人作品15曲を6夜にわたり指揮し、絶賛を博す。第14回サントリー音楽賞を受賞。大阪フィルハーモニー交響楽団客演指揮者に就任(86年まで)。<交響詩「まつら」>を作曲。
1984年
中京テレビ開局15周年記念として、交響曲「名古屋」を作曲、初演。
1985年
ニューヨークで開催された国連40周年記念コンサートにNHK交響楽団とともに出演し、全世界に放送された。
1987年
名古屋フィルハーモニー交響楽団定期演奏会に於いて、プッチーニ最後のオペラ「トゥーランドット」(演奏会形式)を指揮(音楽総監督としての最後の定期演奏会)。
1989年
創立10周年を機に宮城フィルハーモニー管弦楽団より改組した、仙台フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任(現在まで)。日本のうたごえ祭典40周年記念演奏会を指揮。
1990年
名古屋二期会制作マスカーニ歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」を指揮。中国北京中央放送交響楽団の招聘により客演指揮。
1991年
日本指揮者協会副会長に就任。NHK交響楽団韓国公演を指揮。名古屋二期会制作モーツァルト歌劇「フィガロの結婚」を指揮。ノールショピング交響楽団の要請により<前奏曲>を作曲。
1992年
神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽監督に就任(96年まで)。<ハープ協奏曲>を作曲、仙台フィル定期演奏会に於いて初演。名古屋二期会制作プッチーニ歌劇「ジャンニ・スキッキ」「修道女アンジェリカ」を指揮。愛知県芸術劇場にてブリテン歌劇「ピーター・グライムズ」(名古屋二期会制作)を指揮し、各紙で絶賛を博す。
1993年
愛知県立芸術大学客員教授に就任。
1995年
愛知県立芸術大学オーケストラと中国の学生による合同演奏においてマーラー交響曲第8番「千人の交響曲」を指揮、全国でテレビ放送される。<交響曲「但馬」>作曲初演。スウェーデン・ノールショピング交響楽団に招かれ客演指揮を行う。愛知県芸術劇場にてプーランク歌劇「カルメル会修道女の対話」、ブリテン歌劇「ルクリーシア」(名古屋二期会制作)を指揮。<カンタータ「人類のあたらしい規則」>(フロイデ合唱団、三多摩第九合唱団、神戸フロイデ合唱団)を作曲し、自身の指揮により初演。神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会において<ブラームス・シリーズ>を行う。
1996年
プッチーニ歌劇「トゥーランドット」(愛知県文化振興事業団制作)を指揮。<新川和江の詩による歌曲集「ひといろ足りない虹のように」>を作曲初演。
1997年
スウェーデン・ノールショピング交響楽団に招かれ客演指揮を行う。
1998年
7月、三木稔オペラ「春琴抄」を指揮。11月、仙台フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会において林光オペラ「絵姿女房」(演奏会形式)を指揮。
1999年
長年の音楽活動に対して、99年度文化庁30周年を記念して新たに設けられた文化大臣表彰を受ける。仙台市が仙台市開府400年を記念して制作した三善晃作曲「オペラ・支倉常長遠い帆」の音楽監督・指揮を務めた。
2000年
4月より仙台フィル常任指揮者に梅田俊明氏就任。密接な共同作業が始まる。
2015年
3月にて愛知県立芸術大学の客員教授を退任。
2016年
4月より大阪交響楽団のミュージックアドヴァイザーに就任。