─────  鳥のうた  ─────

2001/12/4


 「第九」の季節などと言われる12月である。ベートーヴェン作曲 交響曲第9番ニ短調 作品125が、これほど数多く演奏されるのは世界中で日本だけだろうが、それについては言いたいこともたくさんある。しかし特に今年は、世界にほんとうの平和がくる日まで「第九」を演奏し続けよう、と繰り返し語った大音楽家パブロ・カザルス。ファシズムやナチズムの支配する地域にはそれが自分の祖国であっても決して足を踏み入れようとしなかったカザルス。どのような理由があろうと、すべての戦争に反対であることをあらゆる機会に示し続けたカザルス。その明確で強烈な意思表示を改めて思い起こす時が来たのだと考える。故郷カタルーニャのクリスマスを祝う古謡「鳥のうた」を、私の生まれた所では鳥も平和、平和と歌うのですと説明してから国連総会の会議場で演奏したのが世界中の音楽好きや音楽家たちを感動させて、その演奏ばかりでなく作品そのものも(もちろんその時に演奏されたカザルス自身の編曲によって)世界中で演奏されるようになった。「鳥のうた」は平和を願う音楽家や音楽好きの人たちの象徴になったのである。そのカザルスが愛してやまなかった母はどのように強固な慣習や権威に対してもためらうことなく正しいと信じることを貫き通したというが「世界中の母親たちが戦争はやめなさい、と言えば世界から戦争は無くなる」と語っている。
 フリードリヒ・シラーの難解な詩「歓喜に寄せて」によって作曲された「第九」の第4楽章は要約すれば自由、平等、連帯によってこそ真の平和がある、という人類の理想をベートーヴェンが明快に主張したものだと私は理解しているが、カザルスの提案は当然そのような理解の仕方も許すだろう。
 ヨハン・セバスチアン・バッハの6曲の「無伴奏チェロ組曲」は現在ではチェロ奏者たちの一種の聖書であり、私たち音楽好きにとってもなくてはならぬ貴重な存在であるが、この作品を古本屋から見つけ出し、丹念に研究してすばらしい演奏によって現代に蘇らせたのがカザルスである。1936年から39年に録音されたその全曲のレコードはいまだにそれを凌ぐ演奏はない、あるいは、それを凌ぐ演奏はありえないとも言われている。戦前の日本でもこのレコードを大切に聴いていた人たちがたくさん居た筈だが、敗戦直後の焼け野原になった東京、神田・神保町の古レコード屋でそれを見つけた時の喜びは少年時代の目もくらむような眩しい記憶である。

 今年は夏の暑さがひとしおで秋の冷え込みもはっきりしていたせいか東京や名古屋でも紅葉が特に美しく色鮮やかであったような気がしたが、ヨーロッパやアメリカの友人たちはどうやら紅葉に秋の気配を感じることも薄く、それを美しいと感じることもほとんど無いようである。秋になるとすだく虫の声も彼らにとっては単なる雑音の一種らしいという説もある。
 近代イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギ(1879〜1936)の代表作のひとつに「ローマの松」という素晴らしいオーケストラ曲がある。ローマの歴史、風景、印象などを音楽で描こうとしたものと言えるだろうが、その第3部「ジャニコロの松」の終わりにひっそりと鳥の鳴き声が忍び込んでくるところがある。作曲者によって楽譜の欄外にレコード番号が記されていて、1924年作曲だから当然SPレコードだろうが、それを演奏会場で再生せよという指示であり、楽譜上でどこからどこまで再生すべきかも、もちろんはっきり指定されている。現在では出版社がSPレコードに代わってCDかテープでの再生が可能な形にしているが、その内容はナイチンゲール(夜鳴き鶯というのは誤解でサヨナキドリだそうである)を中心にヨーロッパの初夏の夕暮れに鳴く小鳥のさえずりである。ウィーンのあの楽友協会大ホールでこれを聴いたときは美しい天井のあちこちで本当に小鳥たちが鳴き交わしているのかと一瞬息を呑む思いをしたし、スウェーデンで何度か演奏したときの客席も特別に静まり返って耳を澄ます気配がいつも濃厚であった。ところが日本ではどうも、この部分でヨーロッパほどには集中して興味をもって聞いてもらえない感じがするのは何故だろう。四季の変化に恵まれた私たちが一年中鳥のうたに包まれて暮らしているからだろうか。


▲鳥の歌トップへ