───── 鳥のうた3 ─────
2002/1/16

12月24日と復活祭前の金曜日はオペラも休演するのが長い間のウィーンの習慣である。カトリックの信仰による。ウィーンという町は周知のとおり、さまざまな人種と文化が激しく往来する交差点のような趣のある町であり、それゆえに、あらゆる現象に対して極めて寛大な一面を持っている。だから、ジャパン・マネーが大量に流れ込むとオペラの休演日も変るかなと半ば真面目に考えられるほど、たくましく、しぶとい町である。私たちが知っている名前を挙げるだけでもマーラー、クリムト、エゴン・シーレ、フロイトを産み、バーンスタインを熱狂的に歓迎したこの町が反ユダヤ主義の拠点であるのも、いかにもウィーンらしいと言えるのだろうか。市の中心部、銀座のような目抜き通り、ケルントナー・シュトラーセの両側にびっしりと立ち並ぶ超一流のホテル、宝飾店、ブティック、靴屋等々のほとんどがユダヤ資本であるのは当然である。言葉の真の意味での「都」(みやこ)というのは、このようなことを指すのだろうか、と思うことがある。京都の町衆は昨日は源氏、今日は平家などという戦乱の激変を絶えず経験したが故に、本心を吐露することは極めて稀で、決して旗幟を鮮明にしない、という説がある。その真偽はよく判らぬが、もしそうだとすると、このある種のしぶとさ、たくましさ、強情さとウィーンのそれが私には重なって見え、これが「みやこ」というものか、とも思う。
そのウィーンを離れる朝、空港へ向うタクシーの運転手が「ウィーンを充分に楽しむ時間はありましたか。ウィーンにはまだすべてがゆっくりで、ひっそりと静かな部分も残ってますよ。それがウィーンだと私たちは思ってます。」と言う。引き返してもっとウィーンの匂いの中に居たい、と思ったものである。