─────  鳥のうた4  ─────

2001/1/21


 謝肉祭、という言葉は日本語として何だかすわりが悪いし、意味もよくわからないままに使われているような気が、私はしている。カーニヴァル、と言いなおしてみるとリオ・デ・ジャネイロの派手な観光ポスターを想像してしまうから話はもっと脱線する。カトリック信仰上の厳格な習慣を守れば肉食などを禁じられる四旬節(復活祭前の40日間)に先立って「3日〜8日間行う祭り、大いに肉を食べ、歌い、踊る」と辞書にあるが、「道化、滑稽、歓楽が許されて種々の仮面劇なども催される」と付け加えたものもある。日本の様々な祭りも盆踊りなどという呼び名にもはっきり残っているとおり、もともとは祖先の霊を慰めるものであったり、神仏に捧げるものであったりしたものが多い。
 祭りと言えば日本では無礼講を想像しても唐突ではない。カーニヴァルはヴェネツィアの創意工夫に満ちた仮面をはじめとする豪華な仮装劇が有名だが、酔っ払いがほとんどいないと聞くとちょっと意外な気もする。暗く長い冬を過ごすこの時期を舞踏会の季節にしたのは昔のヨーロッパの社交界の知恵。それを現代まで受け継いでいるのがウィーンだから、今は舞踏会シーズンの真っ盛り。新聞売り場では連日の舞踏会の会場、開始時刻、主催者など詳細な情報を満載した「舞踏会の手帳」を売っているはずである。よほど特殊な、怪しげなもの以外は男女のペアで行くことが参加の基本的な条件だが、最近日本で急に有名になったOpernbal(オーパーン・バル)━━国立オペラハウスで行われる舞踏会は誰でもが「気軽に」参加する、というような種類のものではない。男性は燕尾服、女性はイヴニング・ドレス(つまり正式な礼装)でなければ参加できない。燕尾服には「正式」であるから鹿皮の手袋が必要、勲章を持つ者はそのすべてを着用しなければならない。つまりこの舞踏会は(私はこの言葉は好きではないが)「上流階級」の社交界のひとつの象徴であり、だから舞踏会の開始早々にこの年、社交界にデビューする若者たちが優雅にポロネーズを踊ることによってお目見えの儀式とする。そういうものを野次馬として「見物」するために押しかけることに私はあまり賛成できない。
 このごろは日本ばかりでなく世界中で、ものごとにも、人物にも、芸術学問にも、歴史にも、……、何事についても敬意を払うことが極端に少なくなっている。無用にへりくだることは勿論不要だが、尊重する必要のあるものは私たちの身辺にも少なくないだろう。そして、敢えて「身のほど知らず」という古い言葉を持ち出すが、自分の身の丈に合った暮し方をすること、そうすることを善しとする感性を私たちは軽視しすぎてはいないか。カネを払いすれば何でも出来る、どんなことでも許されると思うのはあまりに傲慢ではないか。勿論ひとりひとりの生き方暮し方はそれぞれの自由であるから、それについて、とやかく言うのは全くの余計なお節介であるが……。
 謝肉祭のシーズンは季節の変わり目に重なる。ということは世界のいろいろな町が期末の大安売りのシーズンである。いつもは特別に欲しいものは無い、買い物にも別に興味は無いと思っている私でも何となくドキドキするようなきらびやかな町のたたずまいになるのが面白い。


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