───── 鳥のうた5 ─────
2002/2/14

ヴァイオリンのアイザック・スターン、生涯、非常に活発に積極的に活動したことは有名である。私の知る限り、いつもタバコとウィスキーを(オーケストラとの練習の間でも)手放さなかったが、弱い者の立場を守ること、ユダヤ人としての自覚を決して譲らないこと、あらゆる差別に反対することなど数え切れないほどの社会的な発言や行動も有名。音楽に(勿論自分自身の音楽についても)厳しく接し続けたし、その一方、若い音楽家たちを援助すること、若い音楽家たちの中に入って一緒に音楽することによって大切なものは何であるかを伝えるために、時間も労力も惜しまなかった。もう30年以上も前だろうか、確か1967年、NHK交響楽団と一晩の音楽会があった。曲目はモーツァルトのアダージョ K261、ロンド K373、バルトーク:ラプソディー第1番、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲。初めての共演である私にスコアを持ってホテルへ打ち合わせに来てもらえないだろうか、と連絡があって緊張しながら部屋をノックした。私がそれまでには見たこともなかった大型の弱音器をつけると、いきなりモーツァルトから奏き始める。私は濃い鉛筆を持ってスコアを広げて椅子に座っている、その隣に座って黙って奏きつづける。ほとんど言葉はいらない。時々、ここはこういう風にはしたくないな、とか、ここはこのようにしようか、とか相談しているような、指示しているような、要するにお前と一緒につくるんだよ、と言ってもらっているような気持ちになる。独奏部分だけではなくて、オーケストラの部分も一小節も抜かさずに奏いてゆく。しかも、全部暗譜である。バルトークに移る。これは今までに指揮したことがあるか、と訊かれて小さい時から好きな作品だったが指揮するのは初めて、と答えるとバルトークの音楽について、ハンガリーの民族音楽について、勿論このラプソディーについて丁寧に説明してくださる。奏き始めると、アクセントやテンポの微妙な変化について何度も繰り返し確認してゆく。終わりまで細かい指示が終ると、じゃ、もう一度やってみようかと冒頭から全部奏く。ベートーヴェンはまた、それと少々異なる慎重さである。余計なことはしない、しかし、たっぷりと豊かな音ですみずみまでうたう、というような意味だろうか。一瞬でも油断するとベートーヴェンではなくなるぞ、と言われつづけているような気がした記憶がある。N響との練習は、まるで古い友人たちの家へ遊びに来た、というような雰囲気を撒き散らしながら現れて明るく大声でしゃべり、タバコをふかし、ウィスキーのなみなみと入ったグラスを傾け、冗談を連発している間に練習が進行して行く。しかし勿論演奏中の厳しいほどの緊張感は一瞬も緩むことは無い。不思議な人である。
演奏会の舞台ソデ、見たことも無いような厳しい表情。舞台に出る直前にMerde!とつぶやく。何事かと思っていると「お前も言え、これはフランス語でクソ!という意味だ、客席にいるのはジャガイモや人参だと思え」と激しく言われる。私もMerde!と言うと、満足そうにもう一度Merdeを繰り返し舞台へ━━。演奏は言うまでも無くどれも素晴らしいもの。演奏会が終ると、おい、一緒に食事に行こう、と明るいスターンに戻って、それからよく飲み、よくしゃべり、2人前のステーキをペロリとたいらげ、それでもまだ足りずに、どこかへ飲みに行こうぜ、などと言うのであった。
スターンの発言として伝えられたものの中に忘れられない一節があった。音楽を自分が有名になる為の道具、金儲けの為の道具にしている人たちが多い、音楽が好きであるだけの人は音楽家であってはならない、音楽を心から愛する人だけが音楽家であるべきだ、というものである。音楽を心から愛するとは、音楽に敬意を払い、音楽そのものを尊重することであるだろう。言葉にしてみると極めて当然なこのことが、現在は改めて意識され、強調される必要がある時代だということかとしばしばスターンの言葉を思い起こすのである。スターンの心配は残念ながら杞憂ではないばかりか音楽を巡る風景は更に荒廃の度を深めている、などと言ったら、そんな言い方をして順調な発展に水を差すな、と叱られるのだろうか。
モスクワでエミール・ギレリスの独奏、キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー交響楽団の「皇帝」を聴きに行った晩、あそこにイサク・シュテルンが来ているよと教えられた席にスターンの姿があった。そういえば私たちの知っている彼の名前はアメリカ読み、そして彼の故郷はロシアだったなと思い出したのである。