───── 鳥のうた9 ─────
2002/4/18

仙台へ向う東北新幹線の車窓から見る新緑が眩しい。仙台市内の大通りの街路樹、所々に植えられた木蓮はいま満開である。八ヶ岳山麓でそろそろ芽吹き始めるはずの落葉松を今年も見に行けなかったな、と少々悔しい。少し登ると日陰には所々に消え残った雪があったりする道を歩き回るのは比べものない楽しみである。菩提樹の香りにまつわるマーラーの有名な歌曲を私たちは象徴的な言い回しかと思うこともあるが、5月のヴィーン市内のあちこちには実際に菩提樹の香りが満ちる。ザルツブルク・モーツァルト音楽院の裏庭には大歌手ロッテ・レーマンが植えたという菩提樹の大木もある。その木陰で陽射しを避けると、ついシューベルトを思い出してしまう。
今年はどんな春だったのか正確には知らないが通常、中央ヨーロッパの春は4月の半ばに突然やってくる。それまで灰色の空の下で眠り続けていた植物が明るい陽射しに目覚めていっせいに花を咲かせる。あらゆる花々が全部いっぺんに咲き誇るという印象である。まさに色とりどり、そして、はじけるような精気に満ちている。そういう春の到来をシューベルトもシューマンもヴォルフも踊るような歌曲に残しているし、グリークやチャイコフスキーやシベリウスの春への憧れや春の夢も深い。ヴィーン市内のあちこちにある噴水は冬の間、蓋をされているが、その蓋が5月1日に取り外されて照明も点灯される習慣だった。現在はどうだろうか。ヨハン・シュトラウスのワルツ「春の声」は、そんなヨーロッパの春そのものの響きだと私はいつも思う。
1957年3月から59年2月、NHK交響楽団にヴィルヘルム・ロイブナー(Wilhelm Loibner)という指揮者がヴィーンからやってきた。18歳でヴィーン国立歌劇場のメンバーとなり、生涯に国立歌劇場だけで2000回近い公演を指揮したと記録に残っている。古典的、伝統的な意味で指揮者となる為に必要な修行を、オペラの練習ピアノを弾くことから始めてきちんと全部身につけ本物の指揮者になった人である。N響の丁稚小僧だった私は2年間いろいろ教えていただいただけでなく、それに続いてヴィーンで毎週レッスンをしていただいた。グルックの「オルフェウス」から始まってモーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバー、ヴェルディ、プッチーニなどを通ってワーグナーからベルク「ヴォツェック」に至るオペラをお宅に伺ってピアノの前に座らされて弾いたり、歌ったり、説明したりするのである。指揮者は美しい声である必要は無い、音程も正確でなくとも良い、しかし、こうしたいのだという表情を歌い手たちに伝える為に、どうしても必要な時があるはずだからその時は歌いなさい、と先生はおっしゃった。ワーグナーの作品では「このドイツ語はどういう意味だ」と質問されて答えにつまると、実はこの言葉は現代のドイツ人には理解できない古い言い回しだ、などということも教えていただいた。優秀なスタッフが完全に準備して出来上がったところへ行って棒を振っても、それではオペラを指揮したことにはならない、オペラというものを知らないまま終ることになる。練習ピアノを弾くところから始める、だから、その役を初めて歌う歌い手と練習するには何から始めなければならないかを考えてみよう、というのがヴィーンのお宅での最初のレッスンの課題であった。先生がN響からヴィーンへお帰りになる3ヶ月ほど前に私が一足先にヴィーンへ行くことになったのだが、その為に先生はカール・フデッツ(Carl Hudec)という当時のヴィーン国立歌劇場の首席コレペティーターで同時にヴィーン市立音楽院教授である人と、演出家ヨーゼフ・ヴィット(Josef Witt)に紹介状を書いてくださった。当時(1958年)日本で初めての国立劇場というものが計画されていて、それがオペラハウスである可能性もあるかと思われていた状況をロイブナー先生がご存知で、私に音楽家の一人としてしっかりオペラというもの、オペラハウスというものを見届けるようにと考えてくださったのであろう。お宅へ伺ってのレッスンはたいてい午後の時間で、その後に先生が国立歌劇場で指揮なさることもよくあったが、そういう時にうっかり「今夜は誰が歌うのですか」とうかがうと「さあね、舞台に出てきたら、ああ今夜はこの人かとわかるものだ」とさり気なくおっしゃる。当時はまだヴィーン国立歌劇場にも本来の意味の「ハウス・アンサンブル」というものが存在していて、しっかりと練習をつんだチームが一つの演目に少なくとも二つ用意されているのが常だから、その中の何人かが入れ替わることがあっても、練習なしでいきなり公演に臨むことが可能なのである。レパートリー・システムと日本で呼ばれているものがこれに近いのだろうが、いろいろ細かいことを説明する前に、前提条件とも言うべき基本的な音楽状況(経済条件を含む)の差の大きさを考える必要があるだろうし、範囲があまりに膨大になるからまた改めて書くことにしたい。